禁煙を決断した理由

シニアライフ

煙草をやめてからもう15年近くなる。

今では本当にやめて良かったと思うが、完全に煙草をやめるまでには何度か禁煙に失敗した。

振り返ると、禁煙に失敗した自分と成功した自分の2人がいて最後に成功した自分がいるわけなんだけど、禁煙に失敗した自分と禁煙に成功した自分は何が違っていたんだろう?

禁煙できた時と出来なかった時の違い

煙草をやめられるかやめられないか一番の違いは動機にあると思う。

自分の場合は、癌になるとか身体に悪いとかいう理由だと全然煙草の誘惑には勝てなかった。

90際まで生きた私のおばあちゃんは最後まで煙草をガンガン吸っていたということもある。

一服がないとやっていけない状況ではこの動機付けは意味がない。

今普通に生活しているところで癌になるとか言われたところで実感がないし、煙草を吸っても大丈夫という情報は山ほどある。

別に煙草吸っても大丈夫じゃん。ていうか煙草ない生活なんてありえないし。

という生活を送っていた時、二重洗脳って言うちょっと怖いタイトルの本を読んだ。

二重洗脳 失楽園仮説

この本は、煙草依存、ギャンブル依存、アルコール依存などのあらゆる依存症には共通のメカニズムがあり、日常生活の健全度を下げるという、著者による失楽園仮説を書いたもの。

失楽園仮説というのは、不倫をテーマにした映画のタイトル失楽園からとったもので、日常の幸福が奪われるという意味合いで著者がつけた名称。

煙草で言うと、煙草を吸うと強制的に脳内に幸福感や快感を作るドーパミンが脳内で出されるので、あのホッとする幸せな感じになるが、何度も強制的にドーパミン出すとだんだんとドーパミンの分泌が少なくなり、さらにドーパミンを求めて煙草を吸うというスパイラルに陥る。

普段もドーパミンが出にくくなっているので、幸福感が感じにくい。

自分の感じではいつもドヨーンとしていて煙草を吸って元気になるという感じ。

日常のパフォーマンスが下がる。

しかし、煙草を吸っていたときはそれが日常だったので、こんなもんだと思っていた。

禁煙を決断させた怒りの感情

昭和の時代はテレビから煙草のCMが普通に流され、歌謡曲の歌詞の中に煙草という単語が入れられていたりして、それもとても格好良く描かれていた。

大人のマナー、本の表紙にはポーズをつけてタバコを吸う男性が載っていた記憶がある。

女にモテるためには不良か、夢を追うかどちらかだったけれど、煙草を吸うのはちょっとワルぶるのに格好のアイテムだった。

煙草を吸わない(特に男性)人のほうが少ないぐらいだった時代に喫煙を覚え、今や煙草に健全な日常と財産を奪われている。

いつのまにか生活するのに必要のない煙草を吸い始め、今現在の生活の質が落とされ、月に五千円が財布から自動的に減っていくと思うとなんか無性に腹が立ってきた。

怒りの感情は禁煙という戦いをスタートするのに最適な武器だと思う。

禁煙成功の一番の要因

そして、この怒りの感情をかきたててくれた二重洗脳という本は私にとっては禁煙成功の一番の要因だったと思う。

タバコを辞めた今でも何かに依存的になってしまいそうになった時にはこの本を読み返す。